梶田香織&こだわり

私が「声の仕事」をしている理由

テレビから声が流れたり、ラジオでしゃべったり。
なぜ私はこの仕事が好きか、それは、
「小さなお店や中小企業で頑張っている人たちを応援したいから」
「一瞬でも声で誰かに幸せな思いをしてもらえるかもしれないから」
「ひょっとしたら、誰かの命を救えるかもしれないから」
一見華やかに感じる仕事で、そういう目立つことが好きだからこの仕事をしているのだろう、
と、だいたい思われる。
見た目もどうやら本来の私とは180度逆の、派手に見えるようですし。
でも。全然そんな風に思っていない。
マイクがあれば、テレビでも大きなステージでも目立つ場所に立ってしゃべることは全く平気。
たしかにそれはある。楽しい。
もっと有名になってもっとたくさんテレビでしゃべったりできたら嬉しいと思う。
今この”タレント”という仕事をしていて、万が一みんなが知っているような有名人になったら私のやりたいことは、小さな、家族で地道にがんばっているようなお店に行ったり、そこの商品を使うこと。
それは、今、芸能人のみなさんがそんな役割をされているように、
「〇〇さんが来るお店です」とか、「あの〇〇さんも使っている」とか、
たっとそのワンフレーズでそのお店や商品の売り上げが変わるから。
昨日まで経営にヒーヒー言っていつ廃業しようかと頭を抱えていたお店でも、
ふとしたことで有名人に知られその人がその名前を口にしたりすれば、一気に経営はたてなおり、
それどころか有名店になり、生活が楽になる。
有名な人は、それくらい大きな影響力を持っている。
それは、廃業した後どうやって少ない年金で暮らしていこうかと、
先の人生を心配していたに違いないその家族の命を救う、ということだと思う。
有名になると、その存在だけで人の命を救えるですよね。。。
とうてい私にそんな力は無い。
無いけど、そんな人の命なんて救えないけど、でも何かちょっとだけでも人の役に立てることがあるんじゃないかと思う。
それは、私が育った背景にある。
父と母が年中無休で働き続けた小さなお店で育ったから。
一匹オオカミタイプの父は、器用で、全部自分でやった。
お店の内装、電気工事、のぼりづくり、チラシづくり、話題になる前からインターネットに取り組みオークションでの商品販売などなど。
それは、そこにかけるお金がないから自分でやるしかなかったというのもあると思うけど
もともとなんでも自分でできる人だったので、できちゃったのだ。
仕事が趣味みたいな父だったので、それをすることも楽しんでいたし。
それ、私も同じ血をひいているからとってもよくわかる。
でも、もしまとまったお金があったら、宣伝広告費にバンッと使ったら。。。
たぶん日本で一番安く有名メーカーのベビーカーやチャイルドシートを販売しているお店だったし、
ベビー用品レンタルという分野では日本で二番目の老舗。
お客様にとっては良い点しかアピールすることが無いくらいのお店だったと思う。
しいて言えば、父が曲がったことが嫌いで、気に入らないことがあるとお客さんでも指摘したりするので父の口調に腹を立てるお客様もいらっしゃるかも、ということ。
たまにテレビに出るような「がんこおやじのラーメン屋」というようなお店のがんこおやじ、というタイプだから。
一応父の面目もあるので書いておくと、父は商売が下手といえば下手だったと思うけどそれは馬鹿正直すぎたこと、
それと、PTAとか子供会とか社会福祉活動とか、なんかよくわからないけどとにかく奉仕活動で家にいないことが多かった。
母が注文を受けても、その日はPTAがあるから配達できない、断れ!ということもどれだけあったことか。
だったらしい。その代り、役所とかからはよくその社会奉仕活動方面での表彰を受けていたし、学区内だけだけど梶田さんというと割と知られていた。良い意味でも知られていたけど悪い意味だと、曲がったことが嫌いですぐに文句つける頑固じじいの梶田さんでもたぶん知られていたと思う(笑)
その曲がったこと嫌いは町内におさまらず、わかいときには名古屋市長選に立候補し、名古屋の曲がったこともまっすぐにしようとしたこともあったらしい。私が生まれる直前まで政治活動をしていたそうな。
そこでも、お金がないと当選しない、という経験もしていたわけだ。
もし、多少なりとも宣伝広告できるお金があったら、たぶん母の苦労はもう少し楽になっていたと思う。
私は貧乏で育ったと思うけど貧乏で育ったと感じていない。
母は今でもお金がなくて私たちにもかわいそうなことをした、というようなことを言うけど
申し訳ないほどに、っぜぇ~んぜんっそんな風に思っていない(笑)
これは姉も同じ意見。
食べ物にひもじい思いをした覚えもないし、ピアノも習わせてもらったし、人並みに勉強知識もつけてもらったし、行きたい学校に行ったし進みたい道に進んでいるし。
父譲りで、なんでもというわけじゃないけど家電を直したり多少の大工仕事とかもできるしパソコンも使ったり自分である程度のことは幅広くできるうようになったし、自分で勉強して知識を身に着けていく力や生きる力をつけてもらったし。
母のおかげで、高くてほがらかな声に育ててもらったし、母のお店の電話応対を聞いて育って言葉遣いも覚えたし、外面は、という注意書きは要るけど社交性良く育ったし。
たぶん姉も兄もそう思っていると思う。
母は、買いたいものを買ってあげられなかったし、子供部屋もなかったし旅行にも連れて行ってあげられなかったし。と言う。
私にしてみれば、子供部屋って要る?旅行は別に今からでも行けば良いんじゃない?
何欲しがったっけ。。。という感じ。もちろんその当時は欲しいと泣いたかもしれないけど今は全然覚えていない。
狭い部屋に家族一緒に寝たのは楽しかったし、いっつもみんなでいろいろアイデアを出しながらご飯食べたのが楽しかったし、旅行はたしかに行ってないけど、ちゃんと学校の催し物の時は母は来てくれたし、入学式や卒業式には父がPTA会長で壇上であいさつしてて、結果まあ一緒にそういうイベントに参加してくれていたし(笑)
でも母がそれだけ今でもそう言うのは、きっと小さな私たちは知らなかっただけで、すごく苦労したんだと思う。
最近一緒にいる時間が多くて、亡くなった父の話や昔のことをよく聞くことが多くなり、
その言葉の端々から、お店をやっていたことの苦労さがとても垣間見える。
たしかに本当に吹けば飛ぶような小さなお店で、いつだったか大人になってから、はたから見たら
「このお店、どうやって食べていってるんだろう、て思う店だ」と思った。
よくこれで子ども3人無事に大学に行ったり一応名の知れた会社に就職できるまでに育ったなぁ、と関心さえしたこともあった。
母のお金のやりくりのおかげだったと思う。
ちなみに今私は、起業家の人たちと縁が深い。
N-1グランプリ、という起業家イベントに携わるようになって、一人社長や家族経営、スタッフ少人数の零細、小企業の社長さんとお会いすることがとっても多い。
皆さん、夜でもとても精力的に勉強しにセミナーに参加したり情報収集したり、アクティブに活動されている。
皆さんの経営が順調なのか順調じゃないのかとか全然そんなのはわからないしそれを気にするわけでもない。
でももし奥様と一緒に経営をされているとしたら、たぶん奥様は多かれ少なかれ苦労されているに違いない。
そうやって旦那さんが外に出ているときだって、子育てに追われているのもその一つだし、
旦那さんが外で懇親会!とかいって何千円一気に使ってくることも、それだったら服一枚買えるのに、と思っていることもあると思う。
それに、経営をしている以上、きっと順風満帆ではなく、苦しいことや困ることも当然あるでしょう。
母が、やはり夫婦経営をしていた奥様と話すと、自営には人に言えない悩みがいっぱいあるよね、という話で意気投合するらしい。
長い経営の中ではもうダメ、と思うことも一回だけじゃない、と。
それでも母は父が亡くなるまでずっと50年くらいやりくりしてきたわけだ。
時々、「もう今月どうするの。。。と思っていても商売って不思議なもので、そういう時に限ってひょっこり注文が入ったりする」という言うことも口にする。
きっと起業家の奥さんは多くが同じ思いをしていると思う。
今成功している人だってそういう頃があったと思う。
よく、たとえばプロ野球選手で苦労したけど成功した、というとき、
「その苦労の陰には奥さんの支えがあった!」とか特集されるけど、それって、普通じゃない?
と実は私は内心思っている。
事業主の妻はみんなどれだけ陰で一緒に苦しみながら、ときには叱咤激励しながら支えていることか。
成功した人よりも成功したその陰で支えた人がもっと注目されても良いはず!
企業経営のセミナーはたくさんあるけど、企業経営者を支えるコツ、みたいなセミナーはない。
起業家夫人ばかり集めてそういうのがあってもいいのにな~と思うけどな。
話が大きくずれちゃった。。。
そうそう、宣伝広告費をかけられれば。という話に戻ろう。
CMを作るにも何十万とかかるからそんなまとまったお金は、企業、と呼ぶ以前の”お店”という経営の中では出せない。
だから、小さいころから、お金のない人しか宣伝ってできないんだな~、お金があれば宣伝できるのにな~とは
ずっと思っていた。
この、声を使う、しゃべる、という仕事を始めたのは実は偶然だった。
「〇〇募集」というい募集という文字が好きで、懸賞応募とかによく応募していた頃、
誰かのコンサートを見に大きな公共のホールに行った。
図書館とか公共施設には、なんとか募集、というチラシがたくさん置いてあるコーナーがあるので
そこでもそういうコーナーに行っていろいろ見ていて、そこに
募集、という文字しか見えなかったのでたまたまひっぱりあげたら「国体式典アナウンサー募集」というたった一枚しか残っていなかったチラシだった。
ふ~ん、と持ち帰って申込み、その後、50倍くらいの倍率のオーディションに合格しちゃって、
数回NHKの先生の研修を受けることになり、国体の開閉会式でしゃべる、アナウンスということを初めて体験し、
務めていた仕事をやめて、もうちょっとしゃべることを勉強してみたいな~となんとなく思って学校に入ったら、
テレビやラジオに出る人を育てる学校で。。。という流れ。
その学校も、今のようにインターネットとか無い時代だったから、
電話帳で各社の資料を取り寄せ、さすが商売人の娘!いちばん授業時間が長くていちばん金額が安いところ。と、ただそれだけで選んだ学校がそこだっただけ。
一応そういえば父にもここに行く、と報告した気がする。
何も反対されなかったからたぶん父はそこが、名古屋で一番老舗で、名古屋にある放送局と大手広告代理店が出資して作っている最も安心できるプロダクションの元にある養成学校である、ということをちゃんと把握していたからだろう。
当然かも。知らないことは無い、というほどの物知りの父だったから。
そして、この仕事に携わってみて。
たしかにテレビやラジオでは宣伝を流すにはお金がないとできない。
でも、私の声だけを使うならそれはそんなに高くない。
BGMに私のしゃべりを合わせたものを、ラジオで流そうと思ったら何十万もかかる。
来週的に放送まで使おうと思うと何十万もかかるけど、
作るだけなら数万、ものすごく短い私の喋りだけなら万を切る、ということはほとんどの人が知らない。
意外と安く作れるのだ。ということを知った。
だったら、インターネットの時代。HPに私のナレーションで商品の紹介をしたら。。。
一応私も、テレビなどで流していただけるくらいのレベルまで達するナレーションができている、と認めてもらえるプロとしてしゃべっているので
HPから流れる声もたぶんプロの喋りとして感じてもらえると思う。(そりゃそうなんだけど。。。^^;)
とすると。無料でわりと簡単にHPが作れる時代だから、どんな、正体は小さな小さな企業やお店でも写真を載せたりして大きな企業っぽく見せることはできる。
そこに、テレビなどで聞くのと同じようなCMが流れたら、
もっとちゃんとした大きな企業に感じちゃうのでは?
写真だけよりもすっごく良い商品に思ってもらえちゃったりするのでは?
(ナレーションには、ただ解説してわかってもらうだけじゃなくて、良さそうに感じてもらえるようにしゃべり、良さそうに感じさせてしまう力があるから。
〇ャパネットのあの社長さんのしゃべりがわかりやすい♪)
そうすると、売上増えるかも。
それとか、たとえばせっかくお店のこだわりを書いて壁に貼っていても、見てもらわなくちゃ伝わらない。
そこに、昔のラジカセでも良いから、「知っていますか?これは・・・」とこれまたすごく良さそうに感じてもらえるように解説する声を流せば、
そもそもまず音がすることで、いやでも近くを通った人の耳に聞こえさせちゃうこともできるし、壁に貼ってあるものにも目が行き読んでもらえるようになるし。
そしたら、あら知らなかったわ、じゃ買ってみようかしら、って売れる数が増えるかもしれない。
新しくお客さんを呼ぶことは大きく宣伝をしたほうがもちろん効果的だけど、
来たお客さまにもう一品でも多く買っていただけるように、つまり客単価を上げる、ということに
声は使えるはず、って思う。
売上が上がる、というのはとっても嬉しい。
それは身に染みてよく知っている。
小さなころその日突然お客さんがやってきて、注文にあった以外の、予定外の収入が入ると、今日はどこかにご飯を食べに行こう!ってなった。
お休みが無くて家族そろってなかなかどこかに遊びに行ったりしなかったけど、そういう楽しみを知らずにいた(かわいそうがられるかもしれないけど^^)私にとって、
外食はまさにレジャーでワクワクした。小さかったからそんなことで幸せだった。
お店の中で声を流すことで、こんなふうに誰かが幸せになれるかも。
子どもみたいだけど、これが私が声の仕事をしている、とっても小さなことだけどとっても大きな理由の一つ。
ちなみに、その外食に行ったときには話の続きがある。
家族でレストランで食べながら楽しくおしゃべりしていると、だんだんとお店の話になってくる。
仕方がない。でも父と母、というより、男性と女性は経営に対しての見解が違う。
大人になるとわかることだけど、女性は現金をとっておきたい。男性は借金も財産だという考え。
なのでお店をやっていくうえで意見が父と母と違うことはもちろんたくさんあり、だんだん喧嘩になってくるのだ。
せっかく楽しいはずのレジャーが最後は喧嘩で終わるのだ。
それも結局は、考えてみれば原因は”お金”。
お金があればその話にならなかったよね~みたいな話ばかり。
ホリエモンが昔、お金がすべてだ、といってひんしゅくをかったことがあった。
多くの人が非難した。ホリエモンは、それはあなたたちがお金で苦労したことがないから非難できるんです、みたいなことを言って反論したけど焼け石に水。
私は、口にしないけど内心ホリエモンと全く同じ意見。
幸せは買えない、愛情は買えない、と言うけど、それも買えるとさえ思っている。
だって、好きな人や大切な人と外食するだけでもその瞬間幸せなんだから、外食するにはお金がかかる。
それ以前に、本当にお金がないとずっと働ないていなくちゃいけないから家族や好きな人と一緒にいる時間がまずとれないし。
愛情だって、そりゃ普通じゃ買えない。でも、
一日何百万もあげるから一日一緒にいてください、という仕事があったらそれを引き受ける人もいると思う。
もし、自分がいいな、と思う人がそれを引き受けてくれたとする。
相手は最初はいやいや引き受けても、人間には情というものがあり、情が移る、という言葉がある。
その仕事を、あるときは海外旅行に同行、あるときは家一軒プレゼントしてあげちゃう、みたいなことをしながら1年も、つまり1年間毎日何百万も払い続けることができて、その人がその仕事が嫌でやめていかなかったら、
1年たったころには情も移っていて離れたくないかも、って思う可能性大あり。
現に、何十回も好きだと言われ続けて、最初めちゃくちゃ嫌いだったのに結婚しちゃった、ってあるでしょ?
その人も、四六時中働く生活じゃなくて、何十回も好きだと言いに行く時間を作れたわけだし。
極論だけど、でもホント。お金のない苦労ってしたことない人にしかわからない。
それも、好きなものを買えないとか、そんなレベルでお金がない、じゃなくて。
こういう私でも、まだまだ全然ましな方で、もっと苦労している人がたくさんいて、
あなたがお金がないなんて話をするなんて!と言われると思うし。
そう、だからお金がすべて。だと思っちゃってる。
お金がないと、しなくていい喧嘩になることも多すぎるし。
お金がないと喧嘩になるんだな~くらいにしか子供だったから思っていなかったけど、
大人になって、衝撃的なことを経験してよけいにそう思った。というか確信した。
やっぱりお金がすべて。
自分を守ってくれるのは人。か、お金。
ちょっとなんだか汚い話になってきちゃったので
いちばん最初の話に戻そ~っと。
この仕事が好きな理由の二つ目
「一瞬でも声で誰かに幸せな思いをしてもらえるかもしれないから」
これもまた小さなころの話になっちゃうけど。
うちのお店は、父が午後からは外に車で配達に回り、
母はずっとお店番と晩御飯の準備をしていた。
夜、家族5人で一緒にご飯を食べているときによく話題に上ったのが、もちろん私たちの学校の話。
そのほかに、父と母が話す会話の中には、「今日お昼のラジオで・・・」
と、ラジオで流れていた話題が多かった。
「今日の人生相談は。。。」とか「今日(パーソナリティーの)〇〇さんが・・・」
とどちらかが言いだすと、「あぁ、聞いてた聞いてた」「あ、聞いてた?あれって・・・」
と話が続く。
子どもだったけど、「すごい。違うところにいるのに同じお話(共通の話題)ができるんだ!」って思った。
「ラジオって別々のところにいても一緒に聞いていたみたいな感じでになるんだ」って、ちょっと感動したのを覚えている。
すごいなラジオって。ってすごく思った。
今みたいに録画がホイホイできるような時代じゃないし増してラジオなんて録音して聞くものじゃなくて流れていくもの。その瞬間に聞いていないと聞けないもの、と思っていたから。
朝起きた時家の中でも、お店の中でもAMラジオ番組はいつも流れていてラジオ替わり。
番組のコーナーの順番どころかCMの、CMソングまで流れる順番にすべて歌えたくらい毎日毎日聞いていた。
父も車の中でAMラジオを聞いていて、当然聞きなれた同じチャンネルを聞いている。
お父さんとお母さんって別々のところにいてもこうやってラジオの話で一緒に笑って楽しめるんだな~って、なんだか私はそういう瞬間が嬉しくて。
それが、小さな私にとっては、小さな小さな幸せ、という感じで心に残っている。
ちょっとかっこよく言えば、ラジオからの声が私に幸せを運んできてくれている、というわけだ。
声はそんな役割を果たすことがある、って今でも思うんですよね~。
他にも、ちょうど聞いていたらとっても役立つ情報をやっていて、そのおかげで得しちゃった!とかもある。
それはもちろんテレビでもあること。
ただ、車にテレビがついている時代ではなかったので、どこにいても移動しながらでも聞けるラジオの”声”が、私にとっては幸せに感じたのねきっと。
そして、「ひょっとしたら、誰かの命を救えるかもしれないから」について。
震災があった時に、ラジオを聞いて元気が出た、ということがよく言われていたことと同じ。
ほんの一言で、もうちょっと頑張って生きてみようかな、と思っていただけたり、
そこまでではなくても、
「声を聞いているだけで気分が明るくなる」と実際私もラジオでしゃべっていて言われていたこともあり、とってもとってもとってもとっても嬉しかった。
「コロコロと鈴が鳴っているような声で、気持ち良くてずっと聞いていたいわ」とか、
お料理番組では「お料理がカンタンに楽しく感じる」というお褒めの言葉をいただいたこともある。
声でこんな風に感じてくださる方がいるなんて!
嬉しいとともに声の重要性をとてもとても感じる瞬間。
そして。
この声は私のおかげではなく、母のおかげです。母も同じような声をしていて間違いなく親譲り。
だから声を褒めていただくのは、母を褒めていただくことと同じ。
母に話すと「うちでは全然違うのに。。。」とちょっと不満そうだけど(笑)
その、外と家での二面性の使い分けも、家でガミガミと私を怒っていたかと思ったら、そこに飛び込んできたお客さんからの電話に、それはそれは明るいやさしそうな3オクターブくらい高い声で話す母から学んだこと(アハハ)。
おしゃべり好きなのも。
あ、人前でマイクを持って話すことが平気なのも、選挙で演説したりいろんなところの役員をして、人前で台本もなく挨拶をよくしていた父のおかげかも。
そういえば、父の演説を聞いて、感動して選挙に出ようと思った!という今、市議会議長を務めていらっしゃる方がいるらしい。
最近母と話すようになって知ったことだ。私は父の選挙演説を聞いたことが無い。
どんな感じだったんだろう。聞いてみたいな。。。
いままだ父が生きていて、商売を続けていたら、
FACEBOOKやITが発達して動画の時代になっている今、声で真っ先に力になりたいのが、私を育ててくれたお店だな~、間違いなく。
どうしたら、もっと私の声を身近に感じて役立ててもらえるだろう。。。
それが課題。でも、何すればいいかはわかっている気がする。

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